第8話 怪しい案件
返信が届いたのは、応募してから五日後だった。
会社から帰宅し、いつものようにスマートフォンを確認した瞬間、貴子は思わず声を漏らした。
「返信……来てる……」
胸が少し高鳴る。
ようやく届いた返事だった。
これまで応募しても、ほとんど反応がなかった。
返信が来ても定型文の不採用通知ばかり。
だから、“個別のメッセージ”が届いただけで嬉しかった。
貴子は急いでメッセージを開いた。
文章は丁寧だった。
応募ありがとうございます。
初心者の方でも安心して始められます。
まずは簡単なオンライン説明を行います。
案件内容も、一見すると普通だった。
企業リスト作成。
テンプレートあり。
未経験歓迎。
しかも報酬も悪くない。
「これなら、できるかもしれない」
久しぶりに、そんな気持ちになった。
けれど、読み進めるうちに少しずつ違和感が混ざっていく。
“自由な働き方を実現しませんか?”
“人生を変えたい方歓迎”
“月収50万円以上のメンバーも在籍”
リスト作成の案件だったはずなのに、やけに夢の話が多い。
それでも貴子は、自分の中の違和感をうまく言葉にできなかった。
初心者だから分からないだけかもしれない。
在宅ワークの世界では、こういう書き方が普通なのかもしれない。
そう思おうとした。
その後、相手から別のメッセージが届く。
「詳細説明は外部チャットで行いますので、こちらに登録お願いします」
貼られていたのは、別サイトのURLだった。
貴子は一瞬だけ迷う。
クラウドソーシングサイトの外でやり取りしても大丈夫なのだろうか。
けれど、その時の貴子には判断がつかなかった。
初心者だから分からない。
在宅ワークでは普通なのかもしれない。
そう考えてしまった。
何より、ようやく届いた返信を無駄にしたくなかった。
貴子は言われるまま登録を進めた。
外部チャットに入ると、担当者らしき男性からすぐに連絡が来た。
やたらと返信が早い。
それが少し安心でもあった。
クラウドソーシング内では何日待っても返事が来なかった。
だから、すぐに反応が返ってくるだけで「ちゃんとしている人かも」と思ってしまった。
オンライン面談の日程も、その場で決まった。
土曜の夜。
貴子は少し緊張しながらノートパソコンを開いた。
オンライン通話の画面に映ったのは、三十代くらいの男性だった。
明るい笑顔。
ハキハキした話し方。
一見すると感じの良い人だった。
「今日はありがとうございます!」
男性は慣れた様子で話し始める。
「関根さんは、どうして副業を始めようと思ったんですか?」
最初は普通の質問だった。
将来への不安。
老後のこと。
物価高。
貴子は少し戸惑いながらも答える。
すると男性は何度も頷いた。
「分かります。皆さん最初は同じですよ」
その言葉に、少し安心してしまう。
けれど。
気づけば話題は、“仕事”より“人生”の話ばかりになっていた。
「今のお仕事、このままでいいと思いますか?」
「本当はもっと自由に働きたくないですか?」
「定年後も今の生活を続けられると思いますか?」
まるで心の不安を探られているようだった。
貴子は少しずつ落ち着かなくなる。
だが、その違和感の正体が分からない。
副業の面談とはこういうものなのだろうか。
初心者だから分からない。
知らない世界だから、自分の感覚がおかしいのかもしれない。
そう思ってしまう。
やがて男性は笑顔で言った。
「実はですね、初心者向けの特別サポートがありまして」
画面共有されたのは、“スクール案内”だった。
動画講座。
限定コミュニティ。
専属サポート。
そして。
料金。
貴子は一瞬、言葉を失った。
思っていたより高額だった。
「もちろん最初は不安ですよね。でも、自己投資って大事なんです」
男性は慣れた口調で話し続ける。
「ここで人生変わった人、本当に多いんですよ」
「関根さんも、今動かないともったいないです」
その瞬間。
貴子はようやく理解した。
――ああ、そういうことだったんだ。
案件ではなく、勧誘だった。
頭の奥が、すっと冷えていく。
さっきまで感じていた期待が、一気に消えていった。
副業を始めたい気持ちは本物だった。
将来への不安も本物だった。
だからこそ、その不安につけ込まれているような気持ちになった。
けれど同時に、貴子は混乱していた。
こういうものなのだろうか。
在宅ワークの世界では普通なのだろうか。
もしかして、自分が知らないだけなのか。
断っていいのかも分からない。
男性は明るく話し続けている。
「今だけ割引があります」
「本気で変わりたいなら」
「皆さん最初は不安でした」
その言葉を聞きながら、貴子はどんどん疲れていった。
変わりたい。
それは本当だった。
だからこそ、自分の気持ちが利用されている気がして苦しかった。
面談が終わったあと、ノートパソコンを閉じる。
部屋が急に静かになった。
貴子はソファに深く座り込み、長く息を吐く。
どっと疲れが押し寄せた。
副業というのは、もっと静かに働くものだと思っていた。
コツコツ作業して、少しずつ収入を増やしていく。
そんなイメージだった。
けれど現実は違った。
怪しい勧誘。
甘い言葉。
不安を刺激する話。
知らない世界だからこそ、何が普通で何が危険なのか分からない。
そのことが、何より怖かった。
そして少しだけ、自分が情けなく感じた。
もしかしたら本当に稼げるかもしれない。
一瞬でも、そう思ってしまった自分。
信じかけてしまった自分。
スマートフォンには、また新しい案件通知が届いていた。
だがその夜、貴子はそれを開かなかった。
ただ静かな部屋の中で、天井を見つめながら思う。
――副業って、もっと簡単なものだと思っていた。
知らない世界へ入るということは、
こんなにも怖いことだったのだ。
第9話へ続く。。。
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「何かを始めるのに、遅すぎることはない。」
そんな想いを込めて書いた物語です。
もし少しでも気になりましたら、ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。
これからも短編・長編を問わず、さまざまな作品をお届けしてまいります。今後とも応援よろしくお願いいたします。

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