第4話 不安の正体
『副業』
その言葉が、頭から離れなくなっていた。
ただ、興味を持っただけのはずだった。
少し気になって、調べてみただけ。
それなのに、なぜこんなにも心がざわつくのだろう。
貴子は自分でも不思議だった。
ただの好奇心で済ませられない何かが、そこにはあった。
その理由を考えたとき、真っ先に浮かんだのは――
“将来”だった。
最近、やけに将来のことを考えるようになった。
若い頃には、こんなことはなかった。
目の前の生活で精一杯だったし、遠い未来のことなど、現実味がなかった。
けれど、五十代に入ったあたりから、急に「先」が見えるようになった。
いや、見えてしまうようになったと言った方が正しいかもしれない。
あと何年働けるのだろう。
定年まで、あと十年もない。
会社は六十五歳定年。
今のところ、大きな問題なく働けている。
仕事そのものに不満はない。
人間関係も悪くない。
順調と言えば、順調だった。
――だからこそ、余計に怖かった。
この先、何もなかったとしても。
何事もなく六十五歳まで勤め上げたとしても。
その後は、どうするのだろう。
年金だけで生活できるのか。
ニュースでは、老後資金の話ばかり流れてくる。
二千万円必要だの、物価高だの、年金制度の不安だの。
そんな話を聞くたびに、胸の奥がざわつく。
自分には、そんな大きな貯蓄はない。
派手な生活はしてこなかった。
無駄遣いもしていない。
それでも、“安心”できるほどは貯められていなかった。
これから物価がもっと上がったら。
医療費が増えたら。
病気になったら。
働けなくなったら。
そこまで考えると、思考が止まらなくなる。
そして、何より不安だったのは――
“体”だった。
最近、通勤が辛い。
たったそれだけのことが、貴子にとっては衝撃だった。
若い頃は、満員電車くらいどうということはなかった。
疲れていても、少し寝れば回復した。
それが今は違う。
朝の通勤だけで疲れる。
会社に着く頃には、もう少し消耗している。
帰宅する頃には、何もしたくなくなる。
これが年齢というものなのだろうか。
老化。
できれば認めたくない言葉だった。
けれど、体は正直だった。
疲れやすくなった。
回復が遅くなった。
集中力も落ちた気がする。
階段を上るだけで息が上がる日もある。
そして、最近は理由のない不安感に襲われることも増えた。
急に胸がざわつく。
理由もなく落ち着かない。
些細なことで気分が沈む。
更年期――
その言葉が頭をよぎる。
年齢的に考えても、おかしくはない。
実際、同年代の女性たちが似たような話をしているのを聞いたこともある。
分かっている。
これは、自分だけではない。
そう分かっていても、しんどいものはしんどい。
“なんとなく不安”という感情ほど、厄介なものはない。
原因がはっきりしていれば対処できる。
でも、理由の分からない不安は、どこにもぶつけられない。
ただ静かに、自分の中に積もっていく。
このまま、六十五歳まで働けるのだろうか。
今ですら通勤が辛いのに。
十年後、もっと体力が落ちていたら。
そのとき、自分はまだ同じように働けるのだろうか。
――無理かもしれない。
ふと、そう思ってしまった。
そして、その考えが頭から離れなくなった。
もし、六十五歳まで働けなかったら。
もし、その前に体が限界を迎えたら。
そのとき、自分には何が残るのだろう。
何もない。
そう思った瞬間、背筋が冷たくなった。
頼れる家族もいない。
支えてくれる誰かがいるわけでもない。
すべて、自分で何とかしなければならない。
それが悪いことだとは思わない。
一人で生きてきた。
一人でやってきた。
でも――
この先もずっと、一人で乗り越えられる保証はない。
だからこそ。
あの副業の動画が、あんなにも気になったのだと、貴子はようやく理解した。
ただ収入を増やしたいわけではなかった。
ただお金が欲しいわけでもなかった。
“会社以外の働き方”が欲しかったのだ。
もし通勤できなくなっても。
もし今の働き方ができなくなっても。
それでも生きていける何かが欲しかった。
それがあるだけで、未来は少し変わる気がした。
貴子は、静かに息を吐いた。
副業に惹かれた理由が、ようやく自分の中で言葉になった気がした。
これは、ただの興味じゃない。
“未来の自分を守るための選択”なのだと。
そう思った瞬間。
副業という言葉が、少しだけ現実味を帯びて見えた。
第5話へ続く。。。
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「何かを始めるのに、遅すぎることはない。」
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これからも短編・長編を問わず、さまざまな作品をお届けしてまいります。今後とも応援よろしくお願いいたします。

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