エピローグ(最終回) はじめて、未来が楽しみだと思えた
休日の昼下がり。
貴子は駅前のカフェの前で、小さく深呼吸をした。
ガラス張りの店内には、すでに数人の人影が見える。
コミュニティのオフライン相談会。
そして、その後に行われる歓迎会。
参加ボタンを押した時は勢いだった。
けれど、日が近づくにつれて少し後悔もしていた。
――やっぱり行くのやめようかな。
そんなことを何度も考えた。
オンラインでは話せても、実際に会うとなると別だった。
年齢が浮かないだろうか。
話についていけるだろうか。
場違いだと思われないだろうか。
そんな不安が次々と浮かぶ。
けれど。
以前の自分なら、きっと当日の朝にキャンセルしていた。
そう思うと、ここまで来た自分が少し不思議だった。
貴子はスマートフォンを握り直し、意を決して店の扉を開ける。
「こんにちはー!」
明るい声が飛んできた。
オンライン交流会で何度か見た女性だった。
「関根さんですよね?初めまして!」
その笑顔を見た瞬間、少しだけ緊張がほどける。
店内には十人ほど集まっていた。
年齢も雰囲気もバラバラだった。
二十代くらいの女性。
子育て中らしい主婦。
スーツ姿の男性。
ノートパソコンを開いている人。
そして、自分と同年代くらいの女性もいた。
「50代仲間ですね」
そう笑われ、貴子も思わず笑ってしまう。
席につくと、自然と会話が始まった。
「最近どうですか?」
「案件応募してます?」
「Canva慣れました?」
オンラインでは文字だけだった人たちが、実際にそこにいる。
それが少し不思議だった。
けれど、嫌な緊張感はなかった。
会社の飲み会とは違う。
役職も立場もない。
誰かに気を遣いすぎる空気もない。
“会社以外の居場所”という言葉が、ふと頭に浮かぶ。
相談会では、それぞれが最近の悩みを話していた。
案件が続かない。
時間管理が難しい。
家族に理解されない。
みんな、何かしら悩みながら進んでいた。
キラキラ成功している人ばかりではない。
それが逆に安心できた。
貴子も少しずつ話す。
最初は返信が来なかったこと。
怪しい案件に引っかかりそうになったこと。
Canvaを始めたこと。
すると、みんな驚くほど自然に頷いた。
「私もありました」
「初心者あるあるですよね」
「最初、本当に分からないですよね」
否定されない。
笑われない。
それだけで、こんなにも気持ちが軽くなるのかと思った。
相談会の後半。
以前オンライン交流会で話していた女性が、貴子に声をかけた。
「関根さんのCanva、すごく見やすかったです」
貴子は驚いた。
コミュニティ内で投稿した練習作品を見てくれていたらしい。
「事務経験ある人って、資料整理うまいんですよね」
その言葉に、貴子は少し照れながら笑う。
会社では当たり前だと思っていたこと。
長年やってきた地味な作業。
それが、別の場所では“強み”になる。
そんなふうに考えたことはなかった。
「今度、簡単な案件紹介できますよ」
女性はそう言って名刺を渡してくれた。
副業用に作ったというシンプルな名刺だった。
貴子はそれを見つめながら、胸の奥が少し熱くなる。
ほんの一年前まで。
自分は会社と家を往復するだけの毎日だった。
将来が怖かった。
老後が不安だった。
通勤が辛かった。
身体の衰えも感じていた。
未来のことを考えると、気持ちが沈んだ。
けれど今は違う。
不安が消えたわけじゃない。
今でも満員電車は疲れる。
仕事終わりにはぐったりする日もある。
老後への心配だって、完全になくなったわけではない。
でも。
以前のような“行き止まり”の感覚はなくなっていた。
世界は、会社だけじゃなかった。
働き方も、一つじゃなかった。
そして何より。
同じように悩みながら進んでいる人たちがいた。
歓迎会は、近くの居酒屋で開かれた。
賑やかな店内。
乾杯の声。
笑い声。
貴子は最初、少し戸惑っていた。
こういう場に来るのは久しぶりだった。
けれど不思議と、無理に合わせなくても大丈夫だった。
途中、誰かがこんなことを言った。
「副業始めて、一番変わったのってお金じゃないんですよね」
「分かるかも」
別の人が笑う。
「考え方変わりますよね」
その言葉に、貴子は静かに頷いた。
本当にそうだった。
最初は、お金のためだった。
将来が不安だったから。
老後が怖かったから。
でも、実際に変わったのは“未来の見え方”だった。
何もできないと思っていた。
年齢的に遅いと思っていた。
会社以外の世界なんて、自分には関係ないと思っていた。
けれど、一歩外へ出てみると知らない世界があった。
知らない人たちがいた。
そして、自分にもまだできることがあると知った。
帰り道。
夜風が少し気持ちよかった。
駅へ向かう人たちの流れの中を歩きながら、貴子はふと空を見上げる。
以前の自分なら、休日の夜は“明日から仕事か”と憂鬱になるだけだった。
けれど今は少し違う。
もちろん、明日も会社はある。
通勤もある。
現実は急には変わらない。
それでも。
未来が“怖いだけ”ではなくなっていた。
スマートフォンが小さく震える。
コミュニティのグループチャットだった。
「今日はありがとうございました!」
「また来月もやりましょう!」
次々と流れるメッセージを見ながら、貴子は自然と笑っていた。
――未来は、案外明るいのかもしれない。
その言葉が、今は少しだけ本当に思えた。
完
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「何かを始めるのに、遅すぎることはない。」
そんな想いを込めて書いた物語です。
もし少しでも気になりましたら、ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。
これからも短編・長編を問わず、さまざまな作品をお届けしてまいります。今後とも応援よろしくお願いいたします。


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